カテゴリー「東日本大震災」の記事

2019年11月 4日 (月)

気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館

お昼過ぎに最後の訪問地気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館にきました。
海岸近くにある水産高校である向洋高校は4階まで津波に襲われ、自動車が教室に突っ込んだままということは知っていました。
しかし、向洋高校が階上地区に位置することは頭から抜けていました。
階上中学校は震災や津波に関する教育が進んでおり、技術士会で「震災と教育」をテーマに階上中学校の先生に講演してもらったことがありました。
当日は70分の語り部コースをお願いしており、結構な時間だと思いましたが、あっという間に時間は過ぎていきました。こちらの学校では犠牲者がいなかったそうですが、地元の方が避難地とした高台が津波に襲われ多数の犠牲者が出たのだそうです。
最後に階上中学校の卒業式の答辞がビデオでながれます。
ビデオに向かって「頑張れよ」などとつい言葉を発してしまいます。
https://www.youtube.com/watch?v=l19NX4jTyV8

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2019年11月 3日 (日)

大谷海岸から気仙沼市街地へ

大谷海岸でも現地の復興事業を見学して気仙沼市街地へ。今回は気仙沼大島大橋(愛称は「鶴亀橋」)を渡らないのですが、車窓から見ると気になりだす人々もいて、「行かないの?」と尋ねられました。
昼食はシャークミュージアムでバスを降りましたが、近くのお魚いちばまで移動して、お刺身(カツオ・マグロ)定食。

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気仙沼市の中心部は震災後あまり訪れたことはありませんでしたが、漁船も多く係留されており、港町気仙沼の復興が感じられました。

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高台にあるのは防集団地でしょうか。

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2019年11月 2日 (土)

小泉海岸

先月のことですが、技術士会で気仙沼市の小泉海岸の防潮堤やバック堤の現場見学会を行いました。宮城県内では高さが14.7mと最大の防潮堤です。見学会の前に下調べをしておくべきでした。

以下「東北アイターン」さんの記事から

震災前の小泉海岸は、美しい白浜や青松が広がる遠浅の海岸だったそうです。夏にはたくさんの家族連れやカップルなどで賑わい、サーフィンに適した波がたつことから、遠方からも多くのサーファーが訪れ、年に数回サーフィンの大会も開催されていました。河口側では毎年、鮭が戻ってきて自然豊かな海岸だったそうです。環境省(当時)の「日本の白砂青松百選」にも選ばれ、ジョギングや散歩を楽しむ人も多く地元住民にとっては癒しの空間であり、たくさんの人に愛される場所でした。

そんな小泉海岸を大きく変えてしまったのが2011年3月11日2時46分に発生した「東日本大震災」。大きく大地が揺れ、そのわずか30分後に凄まじい威力の大津波が小泉海岸と小泉地区を襲いました。最大21mの高さの津波が押し寄せたと言われています。

海岸だった土地は約200m流失し、美しい白浜や青松は海へと消えました。陸が200m後退した海岸沿いには防波堤やテトラポットすら津波に襲われ跡形も無くなりました。

また、震災翌年の秋頃からは、小泉海岸の防潮堤建設に関する住民説明会が開かれるようになり、宮城県内で最も高い14.mの防潮堤が建設されることが発表されました。復興の遅延、景観の問題、財源など課題も多く、防潮堤建設に関しては住民の賛否がありましたが、会議や説明会を重ねた結果、最終的には当初計画のまま高さ14.mの防潮堤が整備されることが決定しました。

そして、約5年間続いた工事も、紆余曲折を経て、今年の5月にようやく終わる予定です。2019年2月から、7月の小泉海水浴場オープンに向けて、気仙沼本吉サーフィンクラブにより海底調査が行われています。7月20日の海開きには、震災前と同様に祭壇を設け、安全祈願を行うことでしょう。今後、小泉海岸は再び海水浴場が整備され、サーフィンの大会や、海の家の開設、SUP(スタンドアップパドル)体験、サーフィン体験などのアクティビティをさらに楽しめる場所となる予定です。

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こちらは見学会で撮影した小泉海岸の防潮堤。とにかくデカイです。

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2019年10月30日 (水)

石巻市門脇小学校

先日久しぶりに石巻にきました(10月18日金曜日)。
門脇小学校は部分保存に向け覆いが外されていました。
仕事の関係で校舎内に入ったことがあって、その時の記憶や臭いまで思い起こしました。
「がんばろう石巻」はひっそりとしており、周辺で進んでいる復興祈念公園の整備とちぐはぐな感じがしました。

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2019年10月27日 (日)

陸前高田市と遠野市の視察

10月26日(土)は宮城県復興支援士業連絡会で陸前高田市と遠野市まで視察に出かけました。

【朝日の当たる家】

こちらはNPO法人福祉フォーラム・東北さんが運営しているコミュニティーハウスです。みなさんの活動内容を伺うと、ただただ頭が下がるばかりです。

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【みつわ飯店さんで昼食】

高台の復興市街地にある「みつわ飯店」さんで昼食。15人の団体なのでメニューは数品にしてほしいというので、こちらのテーブル8人は全て五目あんかけ焼きそばになりました。盛りがいいですが女性二人ともペロリと平らげました。

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【ほんまるの家】

交流施設「ほんまるの家」は、東京ガス株式会社から陸前高田市が寄贈を受けました。世界的建築家である伊東豊雄氏設計のキッチン付きレンタルスペースです。壁面を見ると「伊藤豊雄」チックがよく分かります。

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【高田松原津波復興祈念公園】

公園の一部が9月22日にオープンしました。伝承館と道の駅の建物は大屋根でつながって、中空の部分がエントランスとなり海岸までアプローチが伸びています。ゆるやかにダウンしながら防潮堤までゆっくりと上がっていく。というランドスケープはどんぴしゃです。

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奇跡の一本松。嵩上げの市街地から見下ろされるようになってきました。

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2019年9月29日 (日)

福島県大熊町にて

此の地は未来か過去か、希望か失望か、あるいはそのような方向を押し付けられているのか。
役場周辺の帰還者向けの団地で人々は、BBQの宴をしている。
そばから報道がカメラを回している。彼らは出演しているのではない、この地で生きているのだ。

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2016年7月25日 (月)

千年希望の丘

閖上で食事してから岩沼市の仙台空港近くにある千年希望の丘に寄ってみました。
このブログには何度か登場したことがありますが、役所チックに表現すると「津波防災緑地」ということになります。
築山の標高は11m程で、築山は南北にわたって15基つくられます。
写真は2号の丘で、手前には被災したお宅にある灯篭の台座のように見えます。

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突然ですが、立ったまま枯れている木です。

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立ったまま・・・というと『血は立ったまま眠っている』を思い浮かべます。
これは寺山修司が23歳のときに書いた戯曲で、1960年「文学界」に発表されました。
「一本の木にも流れている血がある そこでは血は立ったまま眠っている」という寺山自身の詩から生まれたものです。
(寺山はこの作品を「処女戯曲」と読んでいますが、実際には1956年に『忘れた領分』という劇を書いています。wikiより)

地球ではないみたい。

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すごく怖いです。

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これは被災したお宅の外構です。

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あれから5年と4か月が過ぎました。

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2016年7月24日 (日)

閖上復興朝市

ひょんなことから出かけてきました。

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「浜や」さんに向かいます。

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浜やの海鮮丼

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奥さんのは200円高い、夏の海鮮丼。

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日和山の神社は閖上湊神社というのですね。

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2011年6月17日 (金)

閖上にて

津波に押しつぶされたバス。

先の震災では直視できないものが多かったですが、このバスは最もそういう部類に入ります。基礎ごと倒壊した建物もすごかったですが、このバスはもっともっと被災を物語っています。

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2011年6月 8日 (水)

痛ましい情景

先日にまた石巻市を訪れました。写真は石巻市の日和山の南側にある門脇小学校です。児童や先生は無事に避難できたのでしょうか。少し時間に余裕があったので女川町にも行ってみました。

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湾の奥にあった市街地はほとんどが津波の影響を受けています。
ビルの屋上にのっかったクルマ。少なくともこの建物の屋上まで津波が押し寄せたわけですね。であれば、街なかは海の底になったはずです。

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線路をはがされた駅。同行したHさんがかつて駅前には温泉があったはずだ・・・というのですが、そんな町のイメージは残っていません。

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建物に突っ込んだままのクルマ(役場です)。国旗と町旗がひるがえっていました。内部はクルマが突っ込んだままというのも大変ですが、書類が剥き出しになっているのが心配です。

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地下杭の基礎ごと転がっている建物。液状化で軟弱になったところに津波で押され倒壊したもの。被害の規模を示しており、このまま保存してはどうか。(女川町復興委員会のメンバー談)

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ところで昼食はインター近くのイオンでとりました。駐車場が一杯、もちろん店内もいっぱい。この様子ではイオンの売り上げが伸びるだけで石巻の復興には何も関係ないと思いました。すみません暴論です。そう思ったら別の店に行けばよかったんですね。次回(機会があれば)はそうします。

写真はありませんが、名取市の閖上にも行ってみました。後輩がいるのですが避難所暮らしだと聞いています。先ずは彼の健康を祈りたいと思います。

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