カテゴリー「東日本大震災」の記事

2016年7月25日 (月)

千年希望の丘

閖上で食事してから岩沼市の仙台空港近くにある千年希望の丘に寄ってみました。
このブログには何度か登場したことがありますが、役所チックに表現すると「津波防災緑地」ということになります。
築山の標高は11m程で、築山は南北にわたって15基つくられます。
写真は2号の丘で、手前には被災したお宅にある灯篭の台座のように見えます。

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突然ですが、立ったまま枯れている木です。

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立ったまま・・・というと『血は立ったまま眠っている』を思い浮かべます。
これは寺山修司が23歳のときに書いた戯曲で、1960年「文学界」に発表されました。
「一本の木にも流れている血がある そこでは血は立ったまま眠っている」という寺山自身の詩から生まれたものです。
(寺山はこの作品を「処女戯曲」と読んでいますが、実際には1956年に『忘れた領分』という劇を書いています。wikiより)

地球ではないみたい。

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すごく怖いです。

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これは被災したお宅の外構です。

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あれから5年と4か月が過ぎました。

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2016年7月24日 (日)

閖上復興朝市

ひょんなことから出かけてきました。

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「浜や」さんに向かいます。

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浜やの海鮮丼

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奥さんのは200円高い、夏の海鮮丼。

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日和山の神社は閖上湊神社というのですね。

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2011年6月17日 (金)

閖上にて

津波に押しつぶされたバス。

先の震災では直視できないものが多かったですが、このバスは最もそういう部類に入ります。基礎ごと倒壊した建物もすごかったですが、このバスはもっともっと被災を物語っています。

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2011年6月 8日 (水)

痛ましい情景

先日にまた石巻市を訪れました。写真は石巻市の日和山の南側にある門脇小学校です。児童や先生は無事に避難できたのでしょうか。少し時間に余裕があったので女川町にも行ってみました。

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湾の奥にあった市街地はほとんどが津波の影響を受けています。
ビルの屋上にのっかったクルマ。少なくともこの建物の屋上まで津波が押し寄せたわけですね。であれば、街なかは海の底になったはずです。

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線路をはがされた駅。同行したHさんがかつて駅前には温泉があったはずだ・・・というのですが、そんな町のイメージは残っていません。

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建物に突っ込んだままのクルマ(役場です)。国旗と町旗がひるがえっていました。内部はクルマが突っ込んだままというのも大変ですが、書類が剥き出しになっているのが心配です。

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地下杭の基礎ごと転がっている建物。液状化で軟弱になったところに津波で押され倒壊したもの。被害の規模を示しており、このまま保存してはどうか。(女川町復興委員会のメンバー談)

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ところで昼食はインター近くのイオンでとりました。駐車場が一杯、もちろん店内もいっぱい。この様子ではイオンの売り上げが伸びるだけで石巻の復興には何も関係ないと思いました。すみません暴論です。そう思ったら別の店に行けばよかったんですね。次回(機会があれば)はそうします。

写真はありませんが、名取市の閖上にも行ってみました。後輩がいるのですが避難所暮らしだと聞いています。先ずは彼の健康を祈りたいと思います。

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2011年5月28日 (土)

石巻では

仕事で石巻に行ってきました。光ファイバーのケーブルですかね。無残に剥き出しになって垂れ下げっていました。七夕の吹き流しのような感じもして、妙にキレイに見えました。

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市内の高台から海の方を眺めるとこんな感じです。ちょうどツツジの花が咲いていていました。

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来年の同じ頃はどのくらい整備が進んでいるのでしょうか。緑に生い茂る木々の中から昔あったであろう市街地をみてみました。何度か目の石巻でしたが、前に訪れた時とそんなに変わった様子は見られませんでした。

もしかすると環境が悪くなった側面もみられます。残念ながら被災地の現実です。

石巻のいち早い復興をお祈りいたします。

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2011年5月11日 (水)

震災から2ヶ月

早いもので2ヶ月経ちました。ずいぶん時間が過ぎた気がします。

3月11日からお彼岸までの10日余りは全く仕事にならなかったような気がします。

その後、復興に向けたアクションがあって仕事もにわかに忙しくなりました。北から、岩手県宮古市、大槌町、山田町、大船渡市、釜石市、陸前高田市、宮城県気仙沼市、南三陸町、石巻市(旧石巻市・旧北上町)、塩竈市(桂島)、山元町、七ヶ浜町、福島県新地町と被災した地域を廻りました。

瓦礫は片づけられはじめ、少しずつ活気が戻っている気がしますが、自衛隊の方々の捜査状況をみたりすると、正直、これらの被災地域は3月11日以降、時間が止まった有様だと思います。

我が家は3月11日から14日まで停電、4月7日の最大余震後に8日まで停電、4月15日にガス復旧、水道は一度も断水せずで、被害はかなり少ない部類に入ると思います。

この数日間の停電ですら相当なストレスを感じたので、今もなお避難所暮らしをされている方々の大変な思いを考えると、平常に送ることができる日々に感謝しなければなりません。

気仙沼の被災した友人と会ったときは、まさに万感の想いを覚えました。失礼ながら極限の状態をしばらく過ごしたのだと思います。

有名人の炊き出し、全国各地からのボランティアのみなさん、個人や団体の義援金・・・たくさんの応援をいただいていると思いますが、社会は、被災地をそのまま置きながら復興のあり方を進めているのではないかと危惧しています。

人民の人民による人民のための・・・と訴えたのは実は人民ではなく、ただの傍観者だったのではないかと。2ヶ月経って復興の青写真すら描けないまま避難所暮らしというのはいかがなものかと。社会は基本的人権をもっと見つめる必要があるのではないでしょうか。人間が人間らしく生きていくために必要な基本的な自由と権利の総称。が基本的人権だそうです。

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2011年5月 3日 (火)

新地も大変

福島県の最北端にある新地町。津波の被害を受け大変な有様でした。写真の線路はJR常磐線。中央の緑色の建屋は新地駅のホーム橋です。現位置より内陸部で復旧する計画が新聞で報じられていました。

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今日はGW真っ最中。一応お休みです。こちらの現場から角田市を通り奥さんの実家M田町まで。途中の阿武隈川沿いに菜の花畑があり一休み。

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仙台は新緑の季節。残念ながら青葉祭りは見送られることになりました。

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ここで疑問。仙台市内の小学校は修学旅行で会津若松市に行っています。Charlieもそうでした。そのずっと昔も娘パート1もパート2もそうでした。

それが現下の福島県の状況では・・・という理由で今年は別地に行くそうです。これは相当にオカシイ。同じ被災地同士スクラムを組まなければ・・・という時にスポッと抜けたようなものです。教育畑出身の市長判断とは思えないです。リーダーシップを大きく疑わざるを得ません。

がんばれ福島!

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2011年4月23日 (土)

船に乗って・・・

今日はコチラのホバークラフトに乗って塩竈市の桂島まで(いや連絡船ですれ違っただけです)調査に出かけました。かなり久しぶりに船で、沖合に出ると波がうねり出し、津波がきたらどんな感じなのだろう・・・考えただけでも恐ろしくなります。

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桂島の港はこんな感じで何となく京都府丹後市の伊根の船宿みたいですが、残念なことに丸ごと津波に襲われてしまいました。

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海水浴客や5月連休頃の菜の花に代表される観光の島だけに復興を願うばかりです。10年ほど前に奥尻島が津波に襲われましたが、その規模を遙かに超えています。このような痕跡が岩手沿岸から茨城沿岸まで続いている訳ですから大変なことです。

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島のてっぺんにあるお墓近くにひっそりと咲いていた椿。傘をさしながらの撮影でピンぼけ+ぶれぶれです。

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調査を午前中に終え、本土?に戻り塩竈様(塩竈神社)にお参りしました。見頃を少し過ぎたか・・・という感じでしたが桜がキレイでした。
雨に濡れるしだれ桜は何とも色っぽかったです。

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丁度巫女さんがそそくさと通ったのでパチリ。

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今日は震災被害調査やら桜の撮影会?やら、ごちゃ混ぜな一日になってしまいました。

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PS:東北本線塩竈駅近くの海鮮寿司塩釜港さん旨し!です。

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2011年4月21日 (木)

海辺にて

陸前高田の白砂青松は流され、高田の松原の風景は一瞬に消滅してしまいました。

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昭和天皇の短歌「松上雪」を紹介するのは大変恐れ多いのですが、「ふりつもるみ雪にたへていろかへぬ松ぞををしき人もかくあれ」と1946年の歌会始で詠まれています。

「松上雪」は敗戦直後に焦土と化した国土を復興するため、国民に向けたメッセージとされています。

これは陸前高田を訪れた後に知ったのですが、「雪に耐え色変えぬ松」としたい高田の松原は、たった一本が奇跡的に残っていました。神様が残してくれたのですね。

平成天皇は、これも恐れ多いのですが、「これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに深く胸を打たれています。」と国民に御言葉を発せられました。

雄々しさ、ををしさ、いろいろ考えながら進んでいければと思います。

復興構想会議がキックオフされましたが、この御言葉にかなうものはないでしょう。

すでに大きな舵が取られたような気持ちがします。

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2011年4月19日 (火)

釜石の観音様

午後のひまびとさんのリクエストにお答えしまして・・・。観音様は御覧のように立派にそびえておりましたよ。ご安心ください。ただ、3時ころ既に閉館となっており残念ながら拝観できませんでした。

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